SOHO Internationl Art Institute
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脇田 和先生ご逝去。
2005年11月27日心筋梗塞のため、永眠につかれました。(享年97歳)
●鳥や人物に詩情豊かな抽象を求めて「コスモロジーの抽象」
洋画家 脇田 和
文化功労者・新制作創立会員
15才でドイツに留学、ベルリン国立美術学校で8年間徹底したドイツ流のアカデミズム教育と描写技法を学ぶ。
帰国は昭和5年22才の時で昭和時代と平成に渡る80年の画業は、若き画家集団「新制作派協会」の創立に加わり、以後この仲間と行動をともにしてきた。
1991年6月2日軽井沢の地にささやかな文化イメージを根づかせる「脇田美術館」を開館いたしました。
(参考資料:「脇田和展」発行・世田谷美術館)
● 年譜
- 1908 東京に生まれる。
- 1923 青山学院中等部を中退し、ドイツに留学。25年ベルリン国立美術学校に入学。30年ベルリン国立美術学校を優秀な成績で卒業後、帰国。
- 1932 第28回太平洋画会展に<風景>を出品、初入選。第19回光風会展<静物>が船岡賞を受賞。第13回帝国美術院展に<白い机の静物>を出品、初入選。
- 1936 猪熊弦一郎・小磯良平等と新制作派協会を結成。第1回展に<ジャズバンド><ダンス>の200号2部作と50号<二人>を出品、以後毎回出品。37年第2回新制作派協会展に<瀞>200号、<渓>200号、<森>100号を出品。
- 1951 跡見学園短期大学の教授となる。第1回サンパウロ・ビエンナーレ<子供のカーニバル>を出品。新制作派協会に創造美術(日本画家)が合流名称を新制作協会に改める。
- 1955 第6回秀作美術展<貝殻と鳥>を出品。第3回日本国際美術展<あらそい><鳥追い>を出品。第3回サンパウロ国際ビエンナーレ<魚網><慈鳥><放鳥><貝殻と鳥>を出品。56年第2回現代日本美術展、第28回ヴェネチア・ビエンナーレに出品。第1回グッゲンハイム国際美術賞の日本国内賞<あらそい>が選ばれる。57年第21回新制作展<緑園>を出品。59年東京藝術大学版画教室の非常勤講師となる。
- 1960 「海老原喜之助、脇田和リトグラフ二人展」開催。第24回新制作展に<解体する五つの顔と鳥><断層の人と鳥>を出品。64年東京藝術大学助教授に就任。68年東京藝術大学教授に就任。
- 1984 脇田和、野見山曉治、宮崎進新作三人展の第1回展開催以後88年第4回展まで開催。91年軽井沢に脇田美術館が開館、館長に就任。勲四等旭小綬章を受賞。
- 1998 文化功労者となる。99年東京藝術大学名誉教授となる。脇田和回顧展(神戸市立小磯記念美術館)、小磯良平と脇田和展(脇田美術館)を開催、第63回新制作展に<土の香><夜わの鳥>を出品
- 2002 第66回新制作展<黄瀬戸の感触>を出品。脇田和展(世田谷美術館)開催。
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